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2025年2月2日 主の奉献

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2025年2月1日
  • 読了時間: 2分

ルカ2:22-40

 

今日は主の奉献の祝日で、イエス様が生まれて40日後に律法に従ってエルサレムの神殿に献げられたことを記念します。「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」は、出エジプト記13章2節からの引用です。「山鳩一つがいか、家鳩の雛(ひな)二羽をいけにえとして献げる」は、レビ記12章6-8節に基づいています。このいけにえは本来「一歳の雄羊一匹」と「家鳩または山鳩一羽」ですが、「産婦が貧しくて小羊に手が届かない場合」として鳩だけのいけにえが認めていました(12章8節)。ということは、マリアとヨセフも貧しかったということになります。

 

イエス様は生まれて40日後に律法に従ってエルサレムの神殿に献げられました。その神殿で幼子イエス様をその腕に抱くことができたシメオンは、イエス様の将来を預言して言います。「この子はイスラエルの多くの人を倒したり立ちあがらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。」神の独り子であるイエス様の歩みが、人々から反対を受けるしるしとなること。なぜなら多くの人間の心にある思いがあらわにされるからです。シメオンがマリア様に語った「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」という言葉の意味は、イエス様の受難に母であるマリア様もあずかり、苦しみを共にすることになるということです。神様が指し示される歩みは、平坦な歩みではありません。時に多くの苦難が覆いかぶさることもあります。信仰の歩みを否定する力との戦いも求められます。それでも、人間の思いを越えて導いてくださる神様のなさり方に、信仰の目を向け続けることが求められるということです。

 

時に、私たちの中でなぜなんだろうという思いや、神様が沈黙しておられると感じる時があるかもしれません。それでも、神様は沈黙しておられるのではない、神様が示される道は確かな道なのだということを信じて私たちも歩みたいです。幼子イエス様を自分の腕に抱くことができたシメオンがその腕で感じることができたもの、それは、この独り子が歩む使命の重さと同時に人間を救いに導いてくださる大きな希望だったと思います。私たちも信仰とは、このイエス様をしっかりと自分の腕に受けとめて、その感触を感じながら、指し示される道を歩み通すことです。裏切られることのない希望を自分の心の支えにして歩むことができるように祈りたいです。

 

 

 

 

 

 

 
 
 

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