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2023年8月6日 主の変容

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2023年8月6日
  • 読了時間: 4分

マタイ17:01-9


今日の福音の箇所はイエス様の姿が弟子たちの前で光輝く姿に変えられた出来事を表している箇所です。主の変容の場面とも言われます。イエス様はこの変容の場面の前に弟子たちに自分がこれから担うことになる受難について話されています。しかし、弟子たちはそのことの意味が本当の意味で理解できませんでした。自分たちが信頼して聞き従っている方が、受難、苦しみを受けることになるなど想像もしていなかったと思います。そんな弟子たちが、イエス様がこれから担われること、その姿に恐れをなしてしまわないように、そしてイエス様の受難と苦しみを見て自分たちの希望を失ってしまわないように、そのためにイエス様は弟子たちを連れて山に登られ、御自分の栄光に輝く姿、真の姿をお示しになったのだと思います。


この主の変容の出来事は2千年近く前に、弟子たちの前で起こった出来事ですが、もしイエス様が現代の私たちにも同じ事をなさったら、私たちはどういう態度を取るでしょうか。光輝くイエス様の姿に圧倒されて、言葉を失ってしまうでしょうか。それとも私たちが信じているイエス様を目の前にして喜びと感動に包まれるでしょうか。


現代世界はヨーロッパの国々をはじめ多くの人々が教会から離れていっています。若者は教会を訪れず、教会の中心をなしていた高齢者の数も減少しています。それはどうしてでしょうか。時代が変わり、人々が求めているもの、生活のあり方が変わってしまったことも原因の一つでしょう。同時にイエス様の存在、姿、思いが人々に届きにくくなってしまっていることもあります。もっとイエス様の姿が私たちにとって身近になり、一人ひとりがイエス様を親しく感じ、イエス様を大切にするようになるために、私たちはどんなことを大事にしたらよいでしょうか。そのことをよく見つめなければと思います。


イエス様は主の変容の出来事を通して、私たちにも受難、苦しみがあることを恐れてはならないこと、神様が望まれる生き方には十字架の苦しみが伴うこと、でもその十字架の苦しみを担う生き方が必ず光輝く復活の栄光の姿に変えられることを教えてくださっています。この世の中は、十字架や苦しみはないほうがよいと考える人が圧倒的かもしれません。苦しみや十字架のない人生こそ幸福な人生だと思う人が大多数でしょう。十字架を担う生き方に価値を見出すということはそんなに簡単なことではありません。それでも私たちはイエス様の姿に目を向けて歩むことが求められます。私たちが、人生を通して目指しているのはイエス様が表してくださった復活の喜びです。そしてイエス様が十字架の死を経て復活なさったように、私たちもイエス様の姿に倣って歩むことで復活の喜びに与るということです。一人ひとり自分が愛を生きようとするとき、そこに自分に死ぬこと、自分を与えることが必ず求められます。そしてそのために十字架や苦しみを引き受けなければならないことが起こります。それでも、そのことで希望を失ったり、力を失う必要はないのだということです。一人ひとり人生が違うように、一人ひとりが担う十字架の中身も違うでしょう。でも大事なことは自分がこの人生を通して捧げることができたらすばらしい十字架とはどのような十字架のことだろうか、それを祈りの中で深く見つめることです。


私たちはまだ十分に神様がなさったことの意味を理解しきれていないかもしれません。そして今でも神様を忘れて自分中心の思いで生きてしまっています。それでも天の父である神様は今でも私たちのためにイエス様のいのちを与え続けてくださっています。私たちの信仰は、イエス様が十字架の苦しみを捧げながら私たちに愛を示してくださったこと、私たちに生きる道を教えてくださったこと、愛を生きるがゆえに求められる苦しみと十字架は、必ず復活の栄光に変えられること、それを一人ひとりが自分のものとして心に刻んで歩むことを心に留め生きる信仰です。


天の父である神様は弟子たちに「これはわたしの愛する子、わたしの心に敵う者。これに聞け」と告げられます。弟子たちが、そして私たちが聞くべき方はイエス様です。弟子たちはこの天からの声を聞いてひれ伏し、非常に恐れます。そんな弟子たちにイエス様は近づき、彼らに手を触れて言われます。「起きなさい。恐れることはない。」私はこのイエス様の言葉がとても大事な言葉だと思います。「起きなさい。恐れることはない。」苦しみは無駄には終わらない。必ず復活がある。イエス様に励まされた弟子たちは、山を下り、日常へと帰って行きます。私たちも日々過ごす日常生活の中で、もっとイエス様を大切にし、そのために自分が捧げることができることを大事にしていきたいです。そしてその生き方が決して無駄に終わらず、真の喜びに包まれることを信じて歩んでいきたいです。













 
 
 

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