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2022年12月24日18時 主の降誕夜半のミサ

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2022年12月24日
  • 読了時間: 4分

クリスマス、それは神の独り子であるイエス様が人となられてこの世に誕生されたことを心にとめる日です。目で見ることができなかった、直接声を聴くことができなかった神様が、その独り子をこの世に誕生させることで、ご自分の思いを目で見、そして耳で聞くことができるようにしてくださいました。今晩私たちがお祝いしている主の降誕・クリスマスの出来事は、静かな星の輝く晩に起こった出来事です。皆が寝静まっている中、目立たず、静かに神の独り子はお生まれになります。神の子である救い主の誕生は、何か立派な宮殿の中で、多くの人々に見守られるようなかたちではなく、また町の広場で多くの人々に告げ知らせられるかたちでもなく、本当に静かに行われた出来事だったように思われます。神様は御独り子をこの世に誕生させられるとき、目立つ方法を望まれませんでした。目立たない、でも静けさと沈黙の中で、神のあたたかい救いの業は始められます。このクリスマスの夜は、静かにそして祈りの心で過ごしたいです。そして星の輝く静かな夜、神の独り子が馬小屋で貧しいかたちで誕生されたことの意味を見つめたいと思います。


静かに、密かにこの世に誕生された救い主の誕生を天使たちが最初に告げたのは羊飼いたちでした。危険や厳しい環境の中で、素朴にそして皆で寄り添って生活している羊飼いたちに「恐れることのない民全体に与えられる大きな喜び」が告げられます。そして羊飼いたちは、天使の言葉に従い、星の導きに従って馬小屋を訪ねます。羊飼いたちはそこを訪ねた人、近づいた人にしかわからない本当の光とその幼子の持つぬくもりを感じたのではないでしょうか。羊飼いたちは、馬小屋の飼い葉桶に寝かされた幼子を訪ね、「神様をあがめ、賛美しながら帰って」いきました。この羊飼いたちの喜びはどういう喜びだったのでしょうか。それは救い主が、こんなに近くに自分たちと同じように貧しく小さな姿で来てくださったという喜びです。自分たちは神様から見放されているのではない。神様はこんなに小さく貧しいかたちでこんなに近くに来てくださった。これが本当のクリスマスの喜びです。貧しくても素朴に神様からの救い、神様からの力を呼び求めていた人たち。人間に向かってではなく、神様に心の叫びをあげていた人たち。自分の無力さ、弱さをよく見つめていた人たち。心から神様を待ち望んでいた人たち。そのような人々の側に神の独り子は誕生されます。


私たちも心から祈り求めたいです。神の独り子の誕生によってもたらされたそのあたたかな光を。自分の無力さ、弱さ、貧しさを見つめながら、その私たちをあたたかく包み込むために来てくださる神の御子のぬくもりを。そしてそのあたたかな光に包まれて、私たち一人ひとりの心にある闇と叫びがあたたかく受け止められ、いやされていくように祈りたいです。神の子が人となられて、それも小さき者となられて私たちの中に来てくださったのは、私たちと歩みを共にし、その共に歩む中で、私たちを御父のもとへ導く生き方へと導いてくださるためでした。この神様の思いは2千年前だけでなく、今も変わらず続いています。今はその姿を直接目で見ることができなくても、神様は聖霊を通して私たちの中にいてくださり、私たちの心に語り続けてくださっています。



クリスマスの晩、私たちに大切なことは、静かに見つめることです。自分の弱さも足りなさもそして自分が抱えている闇も。同時にイエス様がそんな私たちだからこそ、もたらそうとしてくださるあたたかな光を。クリスマスは大騒ぎはいらない気がします。静かに、神様が行われた出来事を見つめることです。そしてクリスマスの出来事は2千年前だけではなく、今も私たちの心の中に起こっている出来事であることを思うことです。


父である神よ、今晩私たちはまことの光である主の降誕を共に祝い祈るためにここに集まりました。どうか闇の中を歩む私たちをその光で照らしてください。私たちがその光で照らされて、真の救いの道を歩むことができますように。今晩祝うこの主の降誕の出来事が、私たちにとって大きな力と希望となりますように。力を失い倒れている人々にあたたかい光とぬくもりがもたらされますように。

 
 
 

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