2023年10月15日 年間28主日
- カトリック戸塚教会
- 2023年10月14日
- 読了時間: 4分
マタイ22:01-14
皆さんも信仰が揺らいだり、疑念を持つことがないでしょうか。神様の存在を信じていても、神様は直接のかたちで姿を表すことはなさいません。平凡に見える日々の出来事を通して働かれると言えるかもしれません。私たちは何か具体的でこれは神様がなさった事だと誰もがわかるような出来事を望んでいるかもしれません。
今日の福音でイエス様はまた一つのたとえを話されます。王が自分の王子の婚宴を催し、招いておいた人々に呼びかけます。その婚宴に招かれていた人たちは、呼ばれたのに来ようとはしませんでした。2度も呼びかけられたのに無視してしまいます。それはなぜでしょう。「一人は畑に、一人は商売に出かけ」とあります。彼らにとって婚宴に出かけていくこと以上に優先することがあったということでしょう。それは自分の仕事であり生活かもしれません。仕事そして生活は人間として大切にしなければならないことです。しかしそのこと以上に大切で優先すべきことがあります。それは神様を大切にし、感謝する心を持つことです。人々は自分の生活に心が奪われるあまり、神様が招かれる宴の素晴らしさ、ありがたさを見落としてしまったと言えます。あまりに人間的、この世的な幸せや価値観に心奪われ、そのことに一生懸命になるあまり、神様の招き、呼びかけの計り知れない恵み、富を見落としてしまうということです。神様の呼びかけは一見地味で平凡なことのように見えるかもしれません。しかし、神様が準備してくださる宴はこの世のものとは違う、尽きることのない喜びそのものです。私たちももしかしたら同じように毎日の生活の中に埋もれている神様の声、呼びかけを聞き逃してしまっているかもしれません。
同時に、呼びかけに応えることができてもどのような心をもって応えたかも問いかけられます。婚宴に参加するのであれば礼服の着用が求められるのと同じです。礼服を着るとは神様の呼びかけにふさわしい心で応えることです。その心とはいつも神様を第一にし、神様に心を向けていく心のことです。私たちは神様が催される宴にあずかることができるように招かれています。ただ、その神様からの招きのすばらしさ、ありがたさを実感できるか、そしてふさわしい心を身に着けてあずかることができるかは私たち一人ひとりにかかっています。
神様の望み、呼びかけに私たちが気づいていくためにはどうしたらよいでしょうか。一つ言えることは、一度立ち止まって、ゆっくり深呼吸し、今があるということを感謝することから、そして「神様、あなたの望みをお聞かせください」と謙虚に心の耳を傾けることからだと思います。私たちは誰もがいつか必ずこの世を旅立つ時が訪れます。そして神様の元に招かれます。その時、神様がどれほどこの自分を支えていてくださっておられたか、どれほど多くの恵みを与えてくださっておられたか目の当たりにするでしょう。自分が気づかないかたちで神様に守られていたことを知る時、私たち自ずと頭を垂れ、自分の愚かさを悔いると同時にもっと神様のよさに目をとめていたらよかったと思うことでしょう。
神様は私たちを天の国で最高の宴の席に招いてくださる方です。そしてその真の喜びを私たちと共にしたいと心から望んでおられる方です。そのために私たちの方からも、もっと神様のよさ、すばらしさを知ることが必要です。私たちが神様の真の姿を知るなら、自ずと招きにふさわしくあずかるために神様が求められる礼服を準備することでしょう。神様が求められる礼服は、宴に招いてくださる神様の本当の良さを知り、感謝する心を身にまとうことです。
今日、このイエス様の話されたたとえ話を聞いた私たちが、神様からの招きを聞き逃すことなく、自分の毎日の具体的な生活を通して、その呼びかけに応えることができるようにしていきたいです。神様が招いてくださる宴のすばらしさを、心から感じられる私たちになっていきたいです。私たちにとってこの具体的な毎日の生活こそ、神様からの招き、呼びかけを聞き取る場なのだと思います。何気ない人からの呼びかけを通して神様は私たちに語っておられるかもしれません。
そして私たちがミサに与る時も、神様の働きのすばらしさに気づき、感謝する態度をもって参加することです。その意識が持てていないと、お願いだけを捧げるお参り信仰になってしまいます。自分は神様に感謝する心と態度を持てているだろうか、それともお願いだけを捧げるお参り信仰を生きていないだろうか顧みる必要があります。
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