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​原宿教会ギャラリーと教会の歴史

「聖母の園」と原宿教会 

 

私たちのカトリック原宿教会は「聖母の園」と呼ばれる修道院の広大な敷地の中にあります。敷地内には「マリアの宣教者フランシスコ修道会」の第一修道院、第二修道院、修錬院、「聖母の園保育園」、さらに「聖母の園老人ホーム」、「聖母の園クリニック」があり、正に「緑の園」といってよく、祈り、黙想、或いは憩いの場所として親しまれています。このような立地から、原宿教会は地域との結びつきがとても強く、修道院や老人ホーム、保育園と連携してボランティアや宣教活動をはじめ、様々な活動を行っています。

 

クリスマスや復活祭(イースター)のミサには信徒だけでなく一般の方々も数多く参加され、賑やかにお祝いします。7月には老人ホーム主催の納涼祭が行われ、信徒もボランティアとして参加し焼そばや焼き鳥をふるまったりして、地域の方々と一緒に楽しい夏の夕べを過ごします。

 

毎年8月15日の聖母被昇天祭の日には、「平和を祈るキャンドルサービス」を行っています。この日は太平洋戦争が終結し日本に平和がもたらされた日ですが、聖フランシスコ・ザビエルにより日本に初めてキリスト教が伝道された日でもあります。この日教会ではマリア様の被昇天をお祝いするとともに、平和への決意を新たにし、世界の平和を祈ります。昼間の「聖母の園」は保育園の子供たちの元気な歓声や鳥たちの楽しそうなさえずりに包まれるうららかな空間ですが、樹木に囲まれた「聖母の園」の夕刻は冷気さえ感ぜられます。祭壇の前に置かれた沢山のキャンドルの灯りは、静かに祈りを捧げる人々の心の奥に残ることと思います。

 

原宿教会は戸塚教会の巡回教会(小教区に属し、 常設の聖堂をもっていて、定期的に司祭が巡回してくる教会)で、修道院のご厚意によりその聖堂を借用しています。主日(毎週日曜日)、クリスマス、復活祭(イースター)のミサは教会の運営で修道院と合同で行い、教会の信徒とシスターたちが肩を並べて祈りを捧げます。信徒とシスター達との交流はますます深まり、信仰共同体としての連帯感も強くなっています。

平日と土曜日は聖堂で毎朝6:30からミサと朝の祈りが捧げられます。早朝にもかかわらず、敬虔な信徒たちがシスターたちにまじって礼拝し、午前9:30までご聖体が顕示されます。現代の神不在の社会のなかにあって、キリストを頂いて生きていく毎日は困難もありますが、私たちの教会にはそれをしっかりと支えている大きな柱があると思います。

原宿教会の歩み

 

原宿教会のある「聖母の園」は、昭和12年(1937年)8月、鎌倉郡大正村(現横浜市戸塚区)に設立されました。最初に派遣された修道女はフランス人2名、ドイツ人1名、日本人3名、修練者・志願者19名でした。昭和16年12月、太平洋戦争に突入すると施設は間もなく海軍に接収され、多摩郡清瀬村に疎開を余儀なくされました。昭和20年(1945年)に終戦となり大正村に戻ると、神父・シスターによる宣教活動が活発に行われ、昭和22年(1947年)8月には最初の洗礼式を行い、昭和36年(1961年)までに454名の信徒が誕生しました。

 

昔のままの東海道松並木越しに見える広い麦畑の中にある赤屋根の修道院、鐘楼のある聖堂の風景はエキゾチックで、たくさんの人から愛されていましたが、昭和30年(1955年)2月、老人ホーム火災の際に聖堂は類焼防止のために取り壊されてしまいました。老人ホームは同年11月、新しい聖堂は昭和31年(1956年)6月、国内及び海外からの援助により完成し、「イエスのみ心聖堂」として献堂されました。

 

大正村は大都市郊外というより、更に離れた田舎といった風情があり、今の大正中学は木造一階建てで明治・大正の風格を有し、どの農家でも牛の声を聴くことができました。しかし、一方では大型団地建設の計画があり、昭和45年(1970年)になると工事が相次いでスタートしました。

こうした状況の中で、昭和47年(1972年)、聖母の園の教会は戸塚小教区原宿巡回教会として司教館より認可され、木村義雄神父が司祭の時代に聖母の園修道院の聖堂を借りてその活動を始めました。建設中であった原宿周辺の大型団地も次々と完成し、転入者も増えたため、昭和50年(1975年)6月、原宿教会委員会が発足し懸案の独立会計もスタートしました。

 

昭和58年(1983年)1月、待望の信徒会館(めぐみの家)が完成し、昭和60年(1985年)9月、司教、修道会管区長のとの間でサルバトーレ神父が戸塚小教区の司牧に従事することが決定されました。この時の原宿教会の信徒数は129名でした。平成3年(1991年)6月、サルバトーレ神父金祝のミサが戸塚・原宿合同で行われ、故国を遠く離れ宣教に専念する神父に神様のお恵みをお祈りしました。

同年に発足した戸塚教会土地問題検討委員会から始まる教会建設委員会などに原宿も参加・協力し、祝別式を戸塚教会とともにお祝いしました。長い間待ち望んだ聖歌隊が平成7年(1995年)10月に結成され、ミサ終了後練習を開始しました。精通したシスターの指導・応援を得られたことは誠に幸いなことでした。平成10年(1998年)3月には山本神父の叙階25周年をお祝いし一層の健康と神様の祝福をお祈りしました。

 

原宿教会発足以来半世紀を過ぎた平成10年(1998年)3月22日には、マリアの宣教者フランシスコ修道会来日100周年感謝のミサが盛大に行われ、数多くの信徒が来日100周年をお祝いしました。み心に捧げられた聖堂は完成から60年。また巡回教会誕生より45年経過しました。約300名の信徒は「開かれた教会」「地域社会と共に歩む教会」を目指して努力しています。

※本文は2017年 記。『カトリック戸塚教会50年史』より抜粋したものを一部修正・加筆しています。

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